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★商品説明★
大型図録本豪華本 水墨美術大系第2巻 李唐・馬遠・夏珪 月報付
鈴木敬 編講談社1974年 初版197ページカラー・モノクロ (口絵原色図版・本文単色図版) 約 44×31×4cm
※絶版※月報付
『李唐・馬遠・夏珪 』と題するこの巻には、李唐・馬遠・夏珪をはじめとする中国絹本墨画・紙本墨画・文人画の重要文化財を多く含む掛幅をはじめとした作品128図・参考図版55図を収載。 巻末に、128図の詳細な解説、釈文、寸法、款記・印章の内容、所蔵先の情報もあわせて収録。 海外の美術館博物館等の協力を得て、収載作品は日本国内のものにとどまらない質・量ともに内容充実。大型本のため、画集・作品集として細部まで見やすい上、当時最高峰の専門家達による論考も含めて読みごたえのある、愛好家必携の貴重な大型資料本。
【目次より】李成から浙派 鈴木敬図版解説 鈴木敬
原色図版晴巒蕭寺図 伝李成江山楼観図 伝燕文貴夏山図(部分)伝屈鼎秋江漁艇図(部分)伝許道寧山水図 李公年瀟湘八景図(八面の内)王洪西園雅集図(部分)馬遠風雨舟行図 夏珪高士観月図 伝馬遠山水図 伝夏珪山水図 孫君澤雪景山水図 孫君澤春冬山水図(二幅)戴進聴雨図 戴進溪館聴松図冬景花鳥図(四幅の内)呂紀観瀑図 鍾欽礼山水図 朱端酔騎図 陳子和仙人図 鄭頤仙寒山雪蹇図 藍瑛萸目喬松図 藍瑛山水図(五面の内)劉度
単色図版喬松平遠図 伝李成秋山蕭寺図(部分)伝許道寧山水図(二幅)李唐晋文公復国図(部分)伝李唐夏山図 伝屈鼎薬山李靭問答図 馬公顕洞山渡水図 馬遠清涼法眼禅師・雲門大師図(二幅)馬遠夕陽山水図 馬麟山水図 伝馬遠山水図(部分) 夏珪秋景冬景山水図(二幅)伝懲宗山水図 伝夏珪山村帰騎図 閻次干山水図(二幅)伝米元暉楼閣山水図(双幅)孫君澤劉阮天台図 孫君澤秋冬山水図(双幅)伝閻次平山水図(双幅)陳孟原山水図 朱徳潤帰漁図 唐棣写王維詩意図 唐棣漁舟図江山雪霽図 伝郭煕柏鷹図 辺文進踏歌図 戴進山水図雪景山水図 李在山水図 李在風雨山水図 呂文英山水図 王世昌蘆辺双鵜図 林良双鷹図 林良柳塘游鴨図 林良琴棋図(双幅の内)老仙山水図 王諤赤壁図 王諤漁樵問答図 鍾欽礼寒山蕭寺図 周用山水図 朱邦舟夫図 朱端雪景山水図 朱端覩瀑対話図 汪肇四季山水図 蒋嵩山水図 蒋嵩漁舟図 蒋嵩帰漁図 蒋嵩漁夫図 張路望気図 張路老松鳴鶴図 張路道院馴鶴図 張路双鳥図 陳子和萱雁・松鵜図(二幅)陳子和漁童吹笛図 鄭頤仙柳蔭人物図 鄭顛仙秋山曳杖図 藍瑛山水図 藍瑛紅友図 藍瑛秋墾雲泉図 藍瑛天池石壁図 藍孟僊源漁隠図 藍孟碧嶂春暉図 藍深秋水清音図 藍深山水人物図(双幅)伝君澤洞庭秋月図高士観梅図山水図 伝馬逵山水図前後赤壁賦図(双幅)観梅図霊陽十景図干面の内)文王・呂尚図柳下泊舟図冬景山水図山水図(部分)老子出関図 伝商喜
参考図版溪山秋霧図湖荘清夏図(伝趙大年) 採薇図(伝李唐) 雪山行旅図(伝李成) 送酒図(馬遠) 高士観海図(馬遠)十二水図(馬遠) 華燈侍宴図(伝馬遠)夏景山水図(伝胡直夫) 山水人物図(伝馬遠) 山水図(伝夏珪) 山水図(伝夏珪) 送邯玄明使秦図 雪江捕漁図(唐棣) 秋林読書図(朱徳潤) 江山積雪図(伝高克明) 春山積睾図(戴進) 鳩図(辺文進)帰去来兮図(李在) 鴛鴦小鳥図(辺文進) 琴高乗鯉図(李在) 観爆図(夏范)帰去来兮図(夏?) 帰去来兮図(馬軾)春塢村居図(馬軾)群仙図(劉俊) 漁楽図(呉偉)山水人物図(呉偉)帰樵図(呉偉) 鳳凰図(林良) 蘆雁図(林良)古木鷹図(林良) 送源永春還国詩図(王諤) 売貨郎図(呂文英) 山水人物図(王諤) 四季花鳥図東披図 送策彦周良還国詩図(王諤) 山水図(王世昌) 山水図(朱端) 渓流静釣図(王諤) 挙杯望月図(鉉欽礼)俯瞰激湍図(王世昌) 蘆洲泛艇図(蒋嵩) 騎驢人物図 江山招隠図(蒋嵩) 江山漁舟図(蒋嵩) 山水人物図竹林山水図(汪肇) 松鶴図(汪肇) 蘆雁図(汪肇)松瀑閑話図(汪肇)漁夫図(朱邦)竹岩図(藍瑛)双鷲図(陳子和)
資料年譜参考文献図版目録 英訳 江上綏
【例言】一、本全集は、日本と中国の水墨画の集大成である。一、第一巻「白描画から水墨画への展開」は、とくに本全集の序論として、日本と中国それぞれの墨画の源流について概観した。一、墨画淡彩、墨画著色は、水墨画と深い関連をもつ意味合いから、それを取上げることにした。一、部分図を掲載したものについては、挿図あるいは参考図版にその全図を提示することに努めた。一、画題の名称には、編集執筆者が選定、命名したものもある。一、国内における所蔵者の氏名表示は、国、博物館、美術館、社寺、学校等の公共的機関のほか、国宝、重要文化財等の指定品の所蔵者にとどめた。一、作者名については、特に諱・号・字にかかわらず、一般的になるべく解り易い呼称を採用した。一、画中の題識、印章の内、特に重要と思われぬものは割愛した。一、この巻における協力者名は撮影許可、写真提供にあずかった諸方面のみに限った。一、当用漢字以外の漢字、および音訓表以外の読みを使用したものもある。
●監修者田中一松米澤嘉圃●編集委員(五十音順)飯島勇(山種美術館副館長)岡田譲(東京国立近代美術館館長)川上涇(東京国立文化財研究所)河北倫明(京都国立近代美術館館長)倉田文作(文化庁文化財監査官)蔵田蔵(奈良国立博物館館長)小松茂美(東京国立博物館美術課長)鈴木敬(東京大学教授)鈴木進(美術史家)田中一松(文化庁文化財保護審議会委員)武田恒夫(大阪大学教授)千澤禎治(美術史家)土居次義(京都工芸繊維大学名誉教授)中村溪男(東京国立博物館)藤田国雄(東京国立博物館学芸部長)松下隆章(京都国立博物館館長)山根有三(東京大学教授)吉澤忠(東京芸術大学教授)米澤嘉圃(東京大学名誉教授)
●本巻協力者名(五十音順敬称略)熱海美術館W・R・ネルソン美術館永保寺大阪市立美術館小川広己小幡醇一菊屋嘉十郎京都国立博物館組田昌平クリーヴランド美術館敬元斎高桐院金地院護国寺清水正博相国寺J・S・ リー常照皇寺定勝寺鈴木功子鈴木輝子ストックホルム東アジア美術館静嘉堂善田一雄大英博物館智積院澄懐堂文庫(三重)天龍寺東海庵東京国立博物館東京国立文化財研究所徳川美術館トレド美術館奈良国立博物館南禅寺根津美術館橋本末吉フィラデルフィア美術館フォッグ美術館藤井斉成会有鄰館フジア美術館ブルックリン美術館文化庁プリンストン大学美術館ベルリン国立美術館ボストン美術館妙心寺メトロポリタン美術館モース・コレクション藪本公三藪本荘五郎横山佐吉
【李成から浙派 鈴木敬】 より一部紹介序董其昌による南北二宗論、文人画論の提起は永い間、中国絵画の理解と史的考察に大きな障壁を設けてしまったように思われる。その後に発表された南北論はすべて董其昌の強い影響下に生れたものであり、外面的形式にもとづいて類別された南宗画、北宗画の差異をより皮相的に解釈する傾向に拍車をかけることになった。多くの主張は思考の自由を失ったかのように、絵画の形成要素は何かという基本問題を素通りして偏った価値観にもとづいて画の本質だけを追求しようとしており、究極においては、山水画における”善玉と悪玉”の確認に終始したといっても過言ではない。董其昌の二宗論、南画偏重論と自らの作品の様式の間にみられる大きな断層については、様式的、形式的考察を苦手とする中国画論家は誰れも言及せず、その結果として董源・巨然から元末四大家、董其昌自身に至る南宗画の系譜は無条件で信奉され、この対極にあるものとして、李成・郭煕、李唐、馬遠・夏珪、孫君澤、明代浙派という北宗画の系譜が暗に想定されていた。しかし近年、中国絵画の緻密な様式分析を出発点とする新たな絵画史研究は、このような単純で性急な論理が容易に肯定できないことを示しはじめている。様式と深層においてこれを支える作者、時代、流派等の精神構造を切雎して絵画作品や流派等についての研究に実り多い成果は期待できないが、そのような包括的、綜合的な研究を試みる意志も可能性をももたない筆者としては、外面的様式と筆描形式の分析・批評を中心にすえて北宗画の発展と変化の軌跡を辿ってみようと思う。このような方法によっても、伝統的南北二宗論にもとづく北宗画の系譜立てと分析の結果よりはより説得性のある絵画史が記述されると信ずるからである。例えば、南宗画(南画)の特色を円味を帯びた山、それを描く手法としての披麻、点子皴の使用、湿潤な大気をもつ自然景、外面的、形式的な精緻さよりも作者の人向像の府一接的な投影とする造形理念にもとづく絵画とし、北宗画(北画)を圭角のある山や岩、それを表出するための手段としての斧劈皴の使用、強い墨線、作者自身の内面の投影とするよりも伝統的、時に職人的巧緻さの消化等から成り立つ山水画とする分類の方法は、現存する多くの作品の様式やその作者の絵画史上の位置を説きあかすのにほとんど学問的説得性をもっていない。さらに董共昌の主張に従って南画を文人画、北画を職業画家の絵画の同義語と解しようとするなら、南・北画の系譜づけと解釈は能になり、画派における様式の持続と変容の問題は未解決のままとりのこされてしまう。この巻には北宋初の李成から范寛、郭熈、李唐、南宋画院の馬遠・夏珪ならびにその亜流作品、元代文人画のうち李・郭様式をとりいれた作品、複雑な様式形成の過程を示す浙派に影響を与えたと考えられる他の元代山水画、前浙派とも呼ぶべき作品群から、終焉期の浙派画家である藍瑛の諸作品を収載し、その様式、形式上の因果関係を求めてみようと思う。ただし現存作品数が飛躍的に増大する明代浙派系諦作についてはかなりの部分を割愛せざるをえなかった。また掲出作品の多くを中国、欧米の蒐集に見出そうとしたが種々の理由から採用不能となったものも少くはなく、日本に伝承された作品で補うこととなった。日本現存作品の比重を軽くしたのは、作品の芸術的、史的価値が低いからではなく、多くの読者にとって見馴れたものであることと、蒐集が所調「宋元画」に偏っていたためである。この巻で試みた作品選択の方法にたいしては自己主張のための恣意性に非難が起るかもしれないが、しかしこの巻で試みようとするのは北宗画あるいは華北山水画系に属する作品群に一つの様式の流れとその変化を跡づけることであり、様式や形式の連続性と断絶のすべてにふれることではないからである。(以下略)
【北宗画(華北山水画)の成立-荊浩-】より一部紹介北宋末撰述の画史である『図画見聞誌』は五代の山水画家荊浩の言葉として次のように記している。「(盛唐の大画家)呉道子は山水を描いて筆はみられるものの墨はなく、(中唐の狂逸な水墨画家)項容には墨があって筆はない。私はこれら二人の長所をとりいれて自分の画風を作ったのだ」と。まさにこの頃、あたかも荊浩の自信に満ちた言葉の通り中国絵画における筆と墨の問題が解決されたように考えられる。(『水墨美術大系』第三巻「牧谿・玉澗」の戸田禎祐氏論文参照)後世、刻画と評され、その山形は刻峭と批判された唐の山水画には描線による絵画制作の限界があったように思われる。この限界を救う方法として著彩、通常青緑と呼ばれる緑青、群青、朱等々による彩色が併用されたものの、彩色は自然の丹念な復原としての山水画を歪め、全く別の方向に押しやり、装飾性の強い絵画に変えていった。勿論、正倉院所蔵の「鳥毛立女屏風」をはじめとする何点かの唐代の絵画遺品や唐朝様式の絵画にその痕跡をのこしているように呉道子による意志的な描線や、描線転化の当然の帰結としての書における飛白のような描線もあらわれ、線の面化の傾向を認めることはできるが、このような線描法はけっして筆と墨の整合、調和を示唆するものではない。筆と墨の間には常に反撥しあうような造形上の性格と表現効果があって調和の中に両者が結合することは困難であった。(以下略)【図版解説】より一部紹介1 晴巒蕭寺図 伝李成W・R・ネルソン美術館 掛幅 絹本墨画淡彩111.5x56.0cm断片的に知られていた李成伝を、新資料をも加えて綜合したのは何恵鑑の大きな業績であった(『故宮季刊』)。この解説もこれに負うところが大きい。李成が山束を離れ開封に来たのは後周の顕徳三年(九五六)から五年(九五八)の間のことで、友人である後周の枢密使王朴の邀に応じたものであった。王朴は李成を庶士に推薦しようとしたが、まもなく薨じたため仕官の希望は杜絶した。志を得られず悶々とした李成はなお開封に留まり、詩と酒に心をまぎらし画に意興を託しながら、縉紳との交遊に日を送った(この十年にも満たない開封時代、李成が関中、蜀、江南の画と接触したことは当然考えられる)。次いで大司農衛融の請にこたえ一家あげて淮陽に行き、ここでも日々酣飲をこととして、ついに宋の乾徳五年(九六七)客舎に酔死した。四十九歳であった。欧陽修の『帰田録』には、宋に入って「官尚書郎に至る」とあるが、宋白の墓誌銘にもとづいた諸資料にはそのような事実は見当らない。むしろ儒者として念願の入仕を果せなかった才思不遇が李成の一生を決定づけ、作画はその反動としてあったといえる。この図は、画面中央に二重に畳まれた地を抜く峯巒、両脇には漫水の懸ったやや低い峯巒を設け、渓谷の虚を隔てた中段の小岡には梵閣と院宇、下段には水に臨む台樹と山店らしき茆舎を配する。径は騎驢のいる左下山麓から木橋、山店を経て寺院へと追われ、寒林とも雑木とも判じかねる樹々が、中下段の随処に配置され画面に快い律動感をもたらしている・全体としてよく枠内にまとまり、北宋山水に通有の人間の営みを圧する造化の大きさはあまり強調されていない。宣和の内府には確かに李成という晴巒蕭寺が収められていたが、この図を李成に帰すことに問題がないわけではない。
2~4江山植観図 伝燕文貴大阪市立美術館 画巻 紙本墨画淡彩(以後寸法略)燕文貴(一説には燕貴)は浙江省呉與の出身。はじめは軍人であった。太宗朝(九七六-九九七)上京、山水、人物を描いては大道で売っていたが、画院の待詔高益に見出され、その推薦によって相国寺壁画の制作に与り画院に入った。端拱(九八八一九八九)年間、すでに画院で活躍していたことが記録されている。その後、大中祥符(一〇〇八-一〇一六)のはじめ玉清昭応宮の壁画制作にも加り画院の祗候となり、のち待詔に昇格した。人物、山水、屋木画を得意とし、ことに山水画にすぐれていたが師法もないままに独自の画風を開拓した画家であった。その山水画は咫尺の内に千里の望を収めたもので「景物は万変し」、「観る者は真臨するようである」と評され、独白の様式は「燕家の景致」とも称された。この巻には模本の宿命ともいうべき写し崩れや、曖昧な描写があり、数次にわたる補筆、入墨が当初の画致を損ってもいるが、北宋山水画の様式的特色をうかがうには充分な優品ということができる。燕文貴の山水画の空間表現は「咫尺千里」という言葉で端的に示されており、厳密な近大遠小的遠近法については「舟は葉の如く、人は麦の如し」という評語によって明らかである。燕文貴筆の伝称作品「江山樓観図」、「烟嵐水毆図巻」・等とは筆墨技法、構図形式の点で類似するところも少くはないが、精細な描写と風雨に襲われた大自然の景境の表現の巧妙さはこの図巻が数等すぐれているように考えられる。この図巻の表現形式の基本は范寛画風にあるが、類似したモチーフを繰返し使用しながら、リズムや動勢を強調し、全体として劇的な構成をつくりあげてゆく様式は、メトロポリタン美術館所蔵の伝屈鼎筆「夏山図巻」やクリーヴーフンド美術館所蔵の「溪山無雄図巻」に近似しており、細部描写の精細さが画面全体と調和する点をも考えあわせれば北宋時代末までには制作されたものとすべきであろう。(款記・印章)「待詔口州筒口縣主簿燕文貴画」
5・37・38 夏山図 伝屈鼎メトロポリタン美術館 画巻 絹本墨画著色「夏山図巻」の現状は多少切りつめられているようであって、落款を欠くのはそのためかもしれない。また後に続くべき題跋も失われている。『石渠宝笈』の編者はこれを燕文貴の作品と鑑定したが、近年、方聞氏は作者を屈鼎とする有力な脱を提唱された。屈鼎は山水画に巧みで仁宗朝に図画院祗候となた。燕文貴に学び彷彿としていると評され、ことに四季の山水の変化や烟霞のめぐるさまをよく描き出したと伝えられる。この図巻は、前景から中景の構成、主山の形状、界阨的景物や遭路の取り扱い等、いくつかの点で燕文貴の作品と共通したものがある。しかし、前景の樹木の描法は伝巨然画にみられる江南画風のそれと類似し、一方、幾重にも重ねて速さや深さを強調した遠山は伝李成筆「晴巒蕭寺図」(図版1)と近似しており、作者は先行する種種の画風を摂取していると考えられる。画面展開は、燕文貴作品の如き劇的なものを示さず、形体の最感や助勢、筆墨の意志性等は抑えられて、明確な固体性を与えられた景物が、緊密な遠近関係の中に構築されている。その際、烟霞は景物の前後関係を明破にすると同時に、前景景物をくっきりと浮び上らせており、北宋末期の烟霞法との技法的な共通性が注目される。作者の姿現の主眼は夏の雨後の山林のしっとりとしたたたずまいと、爽やかな冷気であるが、それは滋潤な水墨技法により充分成功しているということができよう。このように本図巻の作者は、十一世紀中葉に燕文貴の画風を継承発展させ、気象の表現にも巧みであった一画家と思われ、この意味で作者を屈鼎とすることは妥当な説ということができる。
8・9 瀟湘八景図(八面の内)王洪プリンストン大学美術館 画巻 絹本墨画この図巻について精しい解説を行った羅原覚氏は、八景各段の前辺にある「御書」の印を南宋高宗の印と推定している。うかつな話ではあるが私はこれを確認しておらず、したがって印章の比較検証もしていない。図巻の第一段に当る瀟湘夜雨の冒頭には「王洪」という楷体の落款がある。この落款については他に王洪画が現存しないので比べようがなく、書体からみて南宋初とする確かな根拠があるわけでもないが、もし落款に誤りがないとすれば作者は南宋初の紹興(一一三一-一一六二)年間に活躍した画家の作品となる。夏文彦『図絵宝鑑』には「王洪と龍祥はともに蜀(四川)の人で、紹興中、范寛の山水(画)を習った」(『画史叢書』本)という記事があるからである。この図巻の筆描や様式は、范寛画風をよくのこしている「溪山行旅図」(挿入図版7)や「臨流独坐図」(挿入図版4)とは大分ちがっていて『図絵宝鑑』の記述を裏打ちすることはできないようにみえるが、北宋末、南宋初における范寛認識はこの図巻にみるようなものであったと想像することもできる。范寛画の空間表現や遠表現の形式的特色は薄れて、山上の菊花点樹、ぼきぼきした近、中景の古樹、一種濃濁とも呼びうる墨色が范寛画の特色とみられた可能性があるわけである。梁楷の有名な「雪景山水図」にみるような樹法がその一例でもあろう。また「瀟湘八景図巻」中の江天暮雪の遠景、近景部の樹叢の形姿や煙寺晩鐘の深く山塊を重ねる構成、その他濃墨を主調にした強い墨調がそれを物語っている。他方、北宋・南宋交替期の山水画の特色である多くの画風の折衷混淆をもこの巻にみることができる。洞庭秋月の末尾にあらわれる崖の皴法は大斧劈皴に転化する小皴または小斧劈皴と呼ぶことができ、遠浦帰帆その他の遠洲が形づくるV字形砂洲や樹法の一部には董源・巨然派の形式的特色が顕著であるほか、この時期の他の山水画と部分的に共通するものが少くない。この八景図巻は著名な伝牧谿筆「瀟湘八景図」や伝李龍眠筆「瀟湘臥遊図巻」とはかなり異った表現形式、画面の雰囲気をもっているが、史的にみるなら八景図をとりあげたのは北宋末の華北系山水画まである宋迪によっており、半透明な光に映しだされた漂湘地方の景観を写すのには充分な筆描形式を整えていなかったと想像することもできる。董・巨派の画法が止揚された臥遊図巻、それに禅余水墨画法と南宋院体画的な余白処理法が加って完成された伝牧谿八景図に至ってはじめて煙霧や月下の半透明な光りのもとでの自然景が間然するところなく描かれるようになったといってよい。この図巻は、いわば華北系山水画家による初期八景図を例示する作品であり、北・南宋交替期の画家が負った宿命ともいえる、各画風の混淆と調整が若干未完成のままに終った作品とみることができる。
10・11 西園雅集図(部分)馬遠W・R・ネルソン美術館 画巻 絹本墨画淡彩『西園雅集記』によれば、蘇軾、王胱、蔡肇、李之儀、蘇轍、黄庭堅、李公麟、晁補之、張来、鄭嘉会、秦観、陳元景、米市、王欽臣、円通大師、劉慳の名士十六人が王胱邸の西園に集り文雅の会をもったという。李公麟が「西園雅集図」を描き米希がその記を作った。もしもこの会が実際に行われたとすれば元祐元年(一〇八六)の頃と考えられ、雅会は元代以降好箇の画題としてしばしば画家にとりあげられることになった。この図巻の描法は「祖師図」三幅(図版40~42)と酷似する部分が多く、円通大師の横顔は洞山のそれと符節し、同じ筆者の作品が示す避ともいえる形体類似を示す。人物山水図が多く簡略な自然表現を示すのにたいし、この図巻は他の馬遠筆山水人物図とは異り余白もなく、全巻びっしりと西園の景観が描き込まれ、とりあげられたモチーフも多彩をきわめ、馬遠の描写力がすばらしく優れていることを示している。また同時にこのような抜群の描写力を抑制し、画面を単純化したところに成立したのが馬遠山水画であったことを証してもくれる。
12 風雨舟行図 夏珪ボストン美術館 団扇 絹本墨画淡彩14 山水図 伝夏珪東京国立博物館 重文 掛幅 絹本墨画45・46山水図(部分)夏珪W・R・ネルソン美術館 画巻 絹本墨画南宋中頃の画院画家の事蹟はほとんど分っていない。これは、南宋時代の教養人が絵画全般にあまり強い関心を示さなかったことと関係がありそうであり、絵画を「賤者のこと」とする考えが再び強まったためかもしれない。職業画家としては最も栄誉とされた画院画家の地位も、畢竟するに画家が縁故、贈賄等の手段をかりて獲得したものにすぎないからでもあろう。夏珪について『図絵宝鑑』は次のように記している。[字を禹玉といい、銭唐(浙江省杭州)の出身。寧宗(在位〈一一九五-一二二四〉)朝の画院で待詔となり、金帯を賜った。その作品は、構図には調和があり、墨の色の微妙なことはまるで著彩画のようである。筆法は老成熟練し、墨汁はしたたるばかりで、めずらしく立派なものである。雪景山水はすべて范寛を学んだものであるが、画院画家の中で山水を描いては李唐以後、その右に出る者はない」と。待詔は画院画家として最高位の官であり、金帯を賜るという名誉も院人として数多い事例ではない。南宋の張緯の芝田小詩には夏珪の画牛に題した五言詩があり、これには「題夏訓武珪画牛」という題がある。宋代の画院画家の多くが武官を与えられたように夏珪も訓武郎を授ったことが分るが、南宋院人の多くが官品としては正九品以下の成忠郎、保義郎、承信郎等しか与えられていないのにたいし、夏珪が正八品の訓武郎になったことは破格というべきであろう。「風雨舟行図」には画面の右下隅、小宇の手前にある一樹の下に「夏珪」と判読できる落款がある。画面の下辺に近く土披があり、樹叢のかげに茆屋があって、それとの対角線の上に遠山をおく構図は、夏珪ならびに夏珪派の小画面山水画に胝々とりあげられたもののようである。東京国立博物館「山水図」、「江頭泊舟図」、筆耕園「山水図」もほぼ同様の構成である。おそらく「風雨舟行図」にも板橋か土橋があり、画中人物が小さく描かれていたにちがいない。画史の范寛を学んだという指摘は、近景の対角線上に遠山をおき、一旦、拡大された余白による空間を遠山で遮り、限定された巨大空間を表現するという形式的特色と、「臨流独坐図」に示されたやや墨潤な筆描形式について述べたことであろうが、范寛画がもつ北宋的性格、主山の塊量感と大きな空間への表現指向はほとんど消えており、余白と景象描写の単純化、画中人物の蜆賞者への働きかけの増大等によって全く異った情緒表現に転換している。馬遠とともに馬・夏と並称され、南宋院体山水画風を代表するのも、上述の点で馬遠画と近似するからである。このような様式的特色を示す作品として「観瀑図」も閑却することはできず、すでに蘇瑞屏女士によって夏珪画として指摘されているように、南宋人筆「松溪放艇図」もこのような傾向を示す。「山水図巻」(ネルソン美術館)には巻末に「臣夏珪畫」の落款がある。「風雨舟行図」の夏珪款が判読可能という程度の現状であるため両者を比較検討することはほとんどできない。したがってこの図巻が正筆であるかどうかについての判断は画そのものにたよるほかにない。現在、欠失したネルソン本の前半部をも備え、理宗書といわれる各段の題字をもっていない二本が個人蔵品の中にみられる(参考図版18~20)。この図巻を掲出する『芸苑遺珍』の解説者は、三本ともに正筆であり、かつて中国画家は佳作ができた場合、数本をつくることがあったという。私には南宋画として理解できない筆墨技法を示す部分もないわけではないが、夏珪山水画風を伝える代表作とすることに異議はない。ただ著名な無款の「溪山清遠図巻」とこの巻の間にみられる様式的な差異をどのように解釈するかということ、その解釈が夏珪山水様式についての多くの論議にどのような影響を与えるかという問題に関しては、明確に私見を述べる段階にはない。なお画に続く後跋は明の邵亨貞、嘉靖四十一年(一五六二)の王穀祥、天啓七年(一六二七)の董其昌、清初の王?(石谷)等々の筆である。大蒐集家高士奇の旧蔵。
ほか
李唐中国,宋代の画家。生没年不詳。北宋の徽宗の画院に仕えたのち,南宋の高宗の画院待詔となった。山水画を得意とし,中央に主山をそびえさせる北宋代の范寛の様式に学びながら,量感や質感の表現に新機軸を打ち出し,南宋院体山水画の形成に寄与した。京都の高桐院に《山水図》が伝わる。
馬遠中国の南宋時代の画家。生没年不詳。号は欽山。北宋末の画家馬賁(ばほん)の末裔で,馬遠の子,馬麟に至るまで5世代にわたり画院画家を輩出した名家の出身。寧宗朝(1195‐1224),ことに恭聖仁烈皇后楊氏の庇護を受けて画院待詔として活躍した。馬賁以前の馬家が仏画師であった伝統を受けて道釈人物画を描き,李唐の画風を慕って山水画,山水人物画を得意とし,また花鳥画を描くなど,作画は広範囲にわたり,〈種種臻妙,院人中独歩也〉と評された。
夏珪中国の南宋時代の画家。生没年不詳。字は禹玉。銭塘(浙江省杭州)の人。寧宗朝(1195‐1224)の画院待詔とも,理宗朝(1225‐64)の画院祗候とも伝えられるが,訓武郎という画院画家としては異例の高官を拝した。李唐の作品の影響下に,水墨の山水画を得意とし,同時代の馬遠とともに南宋院体画を完成の域に導いた。その画風は,対角線構図法による整った形式美のうちに,さまざまな諧調の墨のタッチを積み重ね,清新な詩情を表現したものである。
ほか(機種依存文字に類似の漢字をあてているところがあります)
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